松本市民タイムス 6月30日付「リレーコラム」

6月30日付の 松本市民タイムス「リレーコラム」掲載の僕の初コラム。
市民タイムス社のご好意で転載許可頂きましたのでこちらにアップしますね(^^)

実際は文字数の制限があって下記の文章から300字くらい必死で削って原稿を入れました。折角なのでここには元の原稿を若干修正して載せます。初回なのでざっくりとした僕の履歴です。

来月は何書きましょうかね。ま、きっと楽器の話だろうけど(^^)

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「35年のプロローグ」

初めまして。
僕は楽器の製作という仕事を生業としてずっと生きてきました。気が付けばもう35年という年月が過ぎようとしています。
初めての就職は電気関係の仕事だったのですが、1年間ほど勤めた後で機会があって楽器製作の道に飛び込み、もうその後はずっとこの、楽器を作る仕事です。 木を刻み、削り、磨き、塗装仕上げを施した後に色んな部品とともに組み立て、調整をし、そして音楽を演奏するための「楽器」として完成させる。
そんな仕事です。

19歳の時に社長と奥さんと自分だけ、という小さな楽器メーカーに就職し、4年半勤めた後に退職。どうしたものかと数ヶ月間迷いながらも周りの方々の協力も有って、23歳にして自分の工房を開きました。
父親が趣味で育てていた植木鉢達を隅に追いやりつつ、近所の大工さんに助けてもらいながら庭の片隅に自力で建てた3坪半の小屋が僕の城となりました。暑い 夏に独り汗をかきながら、スコップで基礎の砂利やコンクリを入れる穴を延々と掘っていたことを今でも良く覚えています。
務めていた会社からの幾ばくかの退職金に加え、小遣いで買ったギター、キーボード、オートバイなどを売り払って作ったなけなしの資金で工具や最小限の木工機械を購入し、こつこつとギターの修理や製作を始めました。

開業当初は仕事もなかなか軌道に乗らず、月末になる度にこっそりと母親からお金を借りて支払いをしていたことを思い出します。考えてみれば、お金もなく、将来の見通しも全く立たない僕をいつも励ましてくれたのは母でした。
自分が一所懸命木を削って作った楽器を母が手でさすりながら、「きれいに出来たなぁ。」「注文貰えて良かったなぁ。」と言っているのを聞くと、「楽器のことなんか分からないくせに。」などと反発しながらも、やはり何となくこそばゆく、嬉しかったものです。
もう80歳を超えた母親はいまだに時々電話で僕に、「仕事はあるのか?お金は、小遣いはあるのか?」と心配して聞いてきます。本当に有難い事と思います。母から見れば僕はいつまでも子供なのでしょうね。

ちっぽけな工房は開業から2年後に法人化して有限会社となり、以後25年間少しづつですが発展し続けて来ました。社員数も15名を超え、楽器業界の中でも(たぶん)多少は名前を知られた存在になったと思っています。
ただの楽器好きのギター馬鹿だった僕が単身始めた工房が、25年の間に数万本の楽器を生み出し、沢山の楽器愛好家にその音色を楽しんでいただけるようになったのです。
自分自身本当に頑張り、また沢山の幸運に恵まれた事も有りますが、やはり周りの方々、取引先、お客様、家族、友人たちに頂いた援助、励まし、応援が有ってこその今日だと思っています。

自分が作った会社が順調に成長を続けるのを見守りつつ、会社が25周年を迎えた後に、僕自身は思うことが有り会社を譲って独立しました。27年前にやったのと同じように、また新しく小さな工房を作ったのです。
2011年。50歳を迎える年の夏でした。